(おおやじんや)
浜松市浜名区三ヶ日町大谷
▲ 大谷陣屋は井伊谷三人衆のひとり近藤康用の曾孫近藤用行を
初代として始まり、七代用誉の内野移転まで約160年続いた。
(写真・ミカン園の農道脇に立つ陣屋跡の説明板。)
旗本三千石大谷近藤家の陣屋跡
永禄十一年(1568)十二月、徳川家康の遠州討入りの先導役を果たしたのが井伊谷三人衆であり、そのひとりが近藤康用であった。子の秀用は家康とともに各地の戦場を馳駆し、姉川合戦、三方原合戦、小田原攻め(小田原城)と戦功を上げた。大坂の陣が終わって天下が安定する頃、元和五年(1619)に遠江井伊谷に一万五千石を拝領して封じられた。その後、秀用は子等や甥に所領を分知してそれぞれ旗本として自立させた。金指近藤家、気賀近藤家、井伊谷近藤家、大谷近藤家、花平近藤家がそれでいわゆる五近藤と呼ばれるものである。 |
▲ 陣屋跡の説明板の裏に残る井戸跡。草に覆われてしまっている(訪城時)。 | ▲ 大谷川の東岸(県道308)から陣屋跡(段丘部)を眺める(矢印は説明板の立つ所)。 |
▲ 代官屋敷・大野家。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年12月2日 |
主要参考資料 | 「静岡県の中世城館跡」他 |