(いいのやじんや)
浜松市浜名区引佐町井伊谷
▲井伊谷陣屋は井伊谷の地と旗本の地位にこだわり続けた近藤秀用がみずから検分して
普請したものである。秀用の後は四男用義が継ぎ、井伊谷近藤氏の陣屋として続いた。
(写真・西側から見た陣屋跡。コーポの建つ位置が陣屋跡地となる。)
旗本にこだわった近藤氏の陣屋
戦国期、東三河の宇利城(愛知県新城市)主近藤石見守康用は近郷の土豪らと同じく駿河・遠江・三河の三国を支配する今川義元に属していた。ところが桶狭間の一戦(永禄三年/1560)で織田信長に敗れ、討死してしまった。その後今川氏の勢威は衰退の一途をたどり、やがて三河を平定した徳川家康の遠江進攻を許すに至ってしまう。 |
▲下写真の黄丸の部分を拡大。井伊城三ノ丸跡に陣屋が建てられたことが分かる。「近藤彦九郎御陣屋」とあるのがそれである。 |
▲コーポの建つところは旧三の丸で陣屋跡である。左側の住宅地は井伊城(井伊氏居館)跡である。 |
▲北東側から見た陣屋跡(コーポが二棟建っている)。 |
▲引佐町4区公民館前に立つ「井伊氏居館跡」の説明板。 |
▲説明板の「井伊城御旧跡ノ図」。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年9月28日 |
主要参考資料 | 「引佐町史 上巻」他 |