(こきえじょう)
愛知県愛西市森川町村仲
▲古木江城は長島の一向一揆を警戒して築かれた織田方の城である。信長の
弟信興が城主となったが、一揆勢の攻撃によって落城、切腹して果てた。
(写真・富岡神社の鳥居と城址碑。)
信興、無念の切腹
元亀元年(1570)、この年六月に姉川合戦で大勝を得た織田信長であったが、浅井・朝倉両氏を屈服させるところまではできなかった。あろうことか、九月には浅井・朝倉両氏は三好三人衆の信長への反抗に呼応して近江宇佐山城を落として京都に迫ったのである。 |
▲城址は鵜戸川東岸の富岡神社の地とされる。 |
▲富岡神社と城址。。 |
▲城址近くには車の乗り入れができないため、対岸の道の駅「立田ふれあいの里」に駐車した。 |
▲道の駅から県道125号の橋を渡り、城址へと向かう。 |
▲神社鳥居近くに建てられた城址碑と説明板。 |
▲城址碑。 |
▲城址説明板。 |
▲富岡神社は城の鎮守としてあったと考えられている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年4月18日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「改訂信長公記」他 |