(こしかじょう)
三重県志摩市志摩町越賀
▲越賀城は志摩十三地頭(小領主)のひとり越賀氏の居城である。九鬼氏との戦いでは
三年に及ぶ籠城戦になったが、戦禍に苦しむ領民のために越賀氏は降伏を決断したという。
(写真・海側から見た城跡。)
城主の決断
越賀城を築いたとされる越賀玄蕃允(又は隼人)隆俊がいつ頃当地に居するようになったのかはよく分からないが、永禄(1558-70)の頃には志摩十三地頭衆の一人として活躍していたようである。しかも志摩衆の盟主的存在であった鳥羽の橘宗忠の妹を娶るほどであったから、隆俊の志摩南部における地位は揺ぎ無いものであったと思われる。 |
▲城址東側の砂浜。車の乗り入れが可能なのでここに駐車した。前方は入り江となっており越賀水軍の船溜まりであったかも知れない。 | ▲城址は岬の先端部に築かれており、現在はさらに海側にコンクリート護岸が伸びている。そこから眺めた越賀の海。 |
▲城址北側の堀切跡の切通し道を西側に抜けると丘の上に上がる道がある。ここを上ると城址である。 |
▲丘の上の平坦地。現在は畑地となっているが、かつての曲輪跡である。 |
▲曲輪北側の土塁跡。藪となってわかりにくい。 |
▲曲輪入口の斜面。この上が土塁となっている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年6月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭大系」他 |