(なきりじょう)
三重県志摩市大王町波切
▲波切城は南北朝期に九鬼氏によって築かれた水軍(海賊)城である。
戦国期には水軍大名となった九鬼嘉隆が生まれた城として知られている。
(写真・大王崎灯台から見た八幡さん公園。)
再起の誓い
南北朝時代の貞治二年(1363)、紀州九鬼浦(尾鷲市九鬼町)を根城としていた九鬼三郎右衛門尉隆良は志摩国波切の川面氏(養子に入ったとも言われる)を配下にすることで念願の志摩進出を果たした。志摩半島に突き出た大王崎は熊野灘と伊勢湾を航行する廻船を見張るには絶好の場所である。しかも岬の背後には入り江があって船溜まりを擁している点、海を支配する海賊衆にはもってこいの地形でもあった。九鬼氏の祖先は熊野別当長快(平安末期)と言われているが定かではないようだ。 |
▲大王崎灯台へ向かう途中に八幡さん公園がある。ここに「波切九鬼城址」の碑が建てられている。 | ▲城址碑には波切城の概略が記されている。 |
▲城址碑の建つ一画は削平されて曲輪跡を想起させるが、単に公園化のための広場なのかもしれない。 |
▲城址碑の所から一段高くなって海に突き出した区画がある。いかにも城跡を思わせる切岸である。 |
▲切岸の反対側。土塁状の高まりが連なる。 |
▲海に突き出た区画。 |
▲八幡社。暴風に耐えられる仕様なんでしょうか。 |
▲公園から西側の展望。 |
▲大王崎灯台から見た公園。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年6月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |