(たしろじょう)
市指定史跡
三重県鳥羽市岩倉町
▲田城城は戦国期に九鬼氏が本拠とした城である。しかし、九鬼氏の勢威が強まるの
を恐れた土豪連合の軍勢によって攻め落とされ、九鬼氏は一時的に没落してしまう。
(写真・城址である九鬼岩倉神社の社叢。)
土豪連合に敗れた九鬼氏の本城
天文十年(1541)、九鬼氏四代泰隆が当城を築いて拠ったと言われているが、当地にはそれ以前に志摩十三地頭のひとりである田城左馬之助が居たらしい。海賊衆の九鬼氏がなぜ海から離れた当地に拠点を構えたのかはよく分からないが、おそらくは兵糧米の確保が目的であったのかもしれない。ともかく九鬼氏は田城城を本拠地としたため、それまでの根拠地であった波切城(志摩市大王町)は支城となった。そして、伊勢国司北畠氏に属して二見七郷を与えられたとされている。 |
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![]() ▲史跡標柱と共に立てられている説明板。 |
![]() ▲城址は神社の境内地となっている。 |
![]() ▲石段を上がりきると尾根状の参道の奥に社殿が建つ。 |
![]() ▲参道の両脇には土塁状の高まりが見られるが、遺構なのであろうか? |
![]() ▲九鬼岩倉神社の扁額。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年6月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |