(とばじょう)
県指定史跡
三重県鳥羽市鳥羽3
▲鳥羽城は古くより泊浦(鳥羽)を領していた橘氏が最初に居館を
築いた場所とされ、戦国期に九鬼嘉隆が志摩を平定して当所に
築城したものである。大手門を海側にした水軍の城として築かれた。
(写真・鳥羽城本丸西側の石垣。)
九鬼水軍の海城
当地に下向して最初に館を築いたのは橘氏で、保元(1156-58)の頃のこととされている。ここは泊浦や泊場と呼ばれて海上交通の要所であった。
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▲近鉄中之郷駅から城址西側の坂道を上るとこの石碑のところに出る。見上げると石垣が城の雰囲気を見せている。 | ▲石碑のところから旧鳥羽小学校の方へ向かうと、この石垣である。 |
▲石垣の右手には旧鳥羽小学校の校舎が残されている。文化財に指定されているそうだ。 |
▲さらに石段を上がると本丸である。 |
▲本丸跡。かつては小学校の校庭であったようである。 |
▲本丸跡の井戸跡? |
▲本丸跡からの眺め。中央海上の志摩は九鬼嘉隆が自刃した答志島である。左端の陸側の山は橘主水の取手山砦である。 |
▲本丸跡の説明板にあった鳥羽城の絵図。三重の天守が描かれている。 |
▲本丸の西側に残る石垣。 |
▲鳥羽城詩碑。藩校尚志館の講師鷹羽龍年が城跡から鳥羽湾を眺めたたえた漢詩が刻まれている。 |
▲本丸から北の曲輪跡へと向かう。 |
▲北の曲輪跡は城山公園として整備されている。 |
▲城山公園から戻り、東側山麓へと下りると三ノ丸広場である。 |
▲三ノ丸広場は旧三ノ丸のあった場所である。ここに説明板が立ち、パンフレットが置いてある。 |
▲三ノ丸広場の説明板。こうした説明板が三枚立てられている。 |
▲城山公園に掲げられた看板。「九鬼水軍の海城」とある。 |
▲鳥羽水族館前の大手水門跡の説明板。 |
▲大手水門跡付近から見た鳥羽城址。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年6月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「城郭みどころ事典」他 |