(くつかけじょう)
市指定史跡
愛知県豊明市沓掛町
▲ 沓掛城は桶狭間合戦(1560)前夜、駿河・遠江・三河の三国を支配する戦国大名
今川義元が尾張進攻の大軍を率いて宿陣した城として知られるが、一方で時代の荒波
に翻弄されて滅びた城主のいたことを忘れてはならない。(写真・沓掛城本丸と城址碑)
戦国の荒波に翻弄された城主
沓掛城主近藤景春は鳴海城主山口教継の誘いに乗って織田を見限り、今川方となった。天文二十一年(1552)春のことであった。教継の誘いが恫喝的なものであったのかどうかは分らないが、大勢力の狭間にある弱小土豪としては生き残るために大勢に従うほかなかったのであろう。 |
▲諏訪曲輪から本丸を望む。 |
▲本丸。 |
▲ 沓掛城跡は城址公園として整備されている。 | ▲ 城址公園の見取り図。 |
▲ 本丸西側の諏訪曲輪。 |
▲ 本丸。右側に井戸跡がある。 |
▲ 本丸西側の堀。 |
▲ 二の丸から本丸を望む。 |
▲ 本丸東側の堀。 |
▲ 本丸北側の堀。堀の北側(右側)は城址公園の駐車場となっている。 |
▲ 本丸南虎口に建つ城址碑。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年2月4日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「愛知の山城ベスト50を歩く」他 |