(おがわじょう)
町指定史跡
愛知県知多郡東浦町緒川古城
▲ 緒川城は知多半島に割拠した水野氏の本城として始まった城であるが、廃城に至るおよそ
130年間の城史はあまり明らかになっていないようである。現在は城域のほとんどが住宅地とな
っており、わずかに土塁の一部が残るのみである。(写真・土塁前に建てられた城址碑と説明板)
知多に割拠した水野氏の古城
緒川城を築いて知多にその地歩を固めたのは水野貞守という武士であった。ときは文明年間(1469-87)の初め頃のことと思われる。貞守の出自についてはよく分らないようだ。南北朝期、ここに城館を構えて土岐氏に滅ぼされたという小河氏がいたが、水野氏はその後裔ということで、貞守が故地に返り咲いたものとも言われている。貞守は四囲に武威を張り、文明八年(1476)には衣ヶ浦湾を渡って対岸の刈谷にも城(刈谷古城)を築いたとされる。 |
▲古城公園(南)側から見た土塁跡。 |
▲公園に建つ城址碑と説明板。 |
▲ 緒川城の土塁の一部がかろうじて残っている。 | ▲ 古城公園側の階段を上がると土塁前に城址碑、説明板が立てられている。 |
▲ 土塁前の説明板にある緒川城位置推定図。 |
▲ 城址南側に建てられた「傳通院於大出生地」の碑。 |
▲ 東浦町役場敷地内の北隅に建つ緒川城の城址碑。 |
▲ 乾坤院山門。乾坤院は緒川水野氏初代貞守が菩提寺として文明七年(1475)に建立した。 |
▲ 総門。緒川城唯一の建造物遺構と言われている。 |
▲ 境内にある水野氏四代の墓所。右から忠守公、忠元公、忠善公の墓。 |
▲ 徳川家康外祖父となった水野忠政公の墓。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年2月4日 |
主要参考資料 | 「戦国知多年表」 |
↑ | 「愛知の山城ベスト50を歩く」 |
↑ | 「古城の風景7」他 |