高島城
(たかしまじょう)

市指定史跡(本丸石垣と堀)、続百名城

長野県諏訪市高嶋1


▲高島城は諏訪氏が関東に移った後に入部した豊臣家臣日根野
高吉によって築城された近世城郭である。日根野氏の諏訪支配は
十年ほどで短く、その後は再び諏訪氏が復帰して明治に至った。
(写真・復興された高島城天守。)

復活諏訪氏の府城

 天文十一年(1542)に武田氏によって上原城の諏訪惣領家が滅亡して後、諏訪の地は武田支配の時代が四十年間続いた。その間に諏訪支配の拠点は上原城から湖岸に近い茶臼山高嶋城に移っている。天正十年(1582)四月に武田氏が織田氏によって滅ぼされ、諏訪は甲斐と共に河尻秀隆の所領となり、代官として弓削重蔵が茶臼山高嶋城に入った。ところが、六月に本能寺の変が起こって織田信長が斃れると諏訪旧臣千野昌房が旧臣諸氏を率いて挙兵、茶臼山高嶋城から弓削重蔵を追い出した。千野らは大祝諏訪頼忠(武田氏に滅ぼされた諏訪頼重の叔父満隣の子)を主君に迎えたのであった。頼忠は徳川家康に属して諏訪郡を安堵され、金子城(諏訪市湖南)を修築して本拠とした。

 天正十八年(1590)、小田原攻め(小田原城)に従軍した諏訪頼忠は、その後関東移封となった家康に従って武蔵国奈良梨他一万二千石へ国替えとなり、諏訪を去ることになった。文禄元年(1592)には上野国惣社一万二千石に移った。

 諏訪氏の去った諏訪には豊臣家臣日根野高吉が二万七千石で茶臼山高嶋城に入った。その後、高吉は新城の築城を計画し、文禄元年(1592)に諏訪湖に突き出た高島に築城を開始した。高吉の築城は信長、秀吉に仕えた経緯から安土城大坂城に倣ったものであったと言われている。

 慶長三年(1598)、高島城が一応の完成をみた。当時は湖水が石垣を洗っていたと言われ、「諏訪の浮城」と呼ばれた。本丸には三重の天守と櫓八棟が建てられ、それは織豊系桃山風の城郭であったようだ。屋根は瓦葺ではなく寒冷地仕様の?葺きであった(現在の復興天守は鉄筋コンクリート銅板葺き)。

 慶長五年(1600)、日根野高吉は東軍に属したが、上杉討伐の準備中に急死した(六十二歳)。嫡男吉明(よしあきら)が跡を継いだが、翌年に下野国壬生一万二千石に転封となる。上田城攻めに参陣したが戦功もなく、若年と外様であったことから左遷させられたものと見られている。もっとも、後の大坂夏の陣では戦功を挙げて豊後国国府二万石に加増転封となった。

 関東に移った諏訪頼忠の子頼水が二万七千石で日根野氏に替わって諏訪に復帰した。以後、移封もなく十代続いて明治に至った。

 高島藩は幕府罪人の流刑地(遠島)としても知られている。家康の侍医であった片山与安宗哲(元和二年/1616)をはじめ加藤清正旧臣の中川宗伴(元和四年/1618)、家康六男の松平忠輝(寛永三年/1626、以上初代藩主頼水の時代)、赤穂浪士討入時の吉良家当主であった吉良吉周(元禄十六年/1703、四代忠虎の時代)、弟の乱心に連座した旗本の野沢半平(宝暦十二年/1762、五代忠林の時代)、将軍家斉の側用人で公金横領の咎により水野美濃守忠篤(天保十三年/1842、九代忠誠の時代)らがいた。特に松平忠輝配流の際には南の丸が増設され、その後の流人の居所となった。

 元治元年(1864)十一月、藩主忠誠(ただまさ/老中)と幕府より水戸天狗党追討が高島藩に命じられた。高島藩(七百人程か)と松本藩(四百五十人程か)の軍勢が樋橋村(下諏訪町)に布陣して天狗党勢(約千人)と激戦となった。和田嶺合戦と呼ばれるものである。戦いは天狗党の正面攻撃と迂回作戦によって藩側は潰走して敗北した。高島藩では城門を閉ざし、湖上の舟を焼くなどして合戦を避け、出戦しなかったようだ。天狗党は諏訪湖北岸の下諏訪宿で休息した後に伊那街道方面へ移動したため、藩の追討戦は終了した。

 戊辰戦争では新政府に恭順して甲州柏尾坂(柏尾坂古戦場)に戦い、また越後長岡にも出兵した。

 明治八年(1875)、城の建物全てが破却され、本丸のみが公園として開放された。昭和四十五年(1970)に天守が復興されて現在に至る。


▲天守とともに復興された角櫓。

▲天守内部は資料館となっている。



▲本丸跡である高島公園の東側にある横矢掛けの櫓跡。持方月櫓と書かれるが読み方は不明とのこと。

▲復興された冠木橋と天守。

▲本丸東北隅の角櫓。

▲冠木橋と冠木門。

▲復興天守の北面。

▲天守入口。

▲由来碑。

▲天守台の石垣。

▲天守最上階から見た本丸。池や植木で造園されている。

▲諏訪湖方面の展望。かつては湖水が石垣を洗っていたと言うが、現在ではかなり遠のいている。

▲川渡門跡。かつてはここから舟に乗ったという。門は移築された三之丸御殿裏門である。

▲公園内の諏訪護国神社。

▲本丸南側の土戸門跡。城内への勝手口であった。

▲高島公園案内図。

▲高島城説明板。

----備考----
訪問年月日 2016年8月17日
主要参考資料 日本城郭総覧」
「諏訪高島城」他

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