(まかべじょう)
国指定史跡
茨城県桜川市真壁町古城
▲真壁城は平安末期に多気長幹が当地に入部して真壁氏を称したことに
はじまり、南北朝期から戦国期にかけて拡張整備され続けた。戦国末
期には佐竹氏麾下に組み込まれ、やがて出羽角館に移ることになる。
(写真・真壁城外曲輪南側の土塁と堀。)
戦国の荒武者、鬼道無
承安年間(1171-75)に常陸平氏の一族多気直幹の子長幹が真壁郡の郡司職となって入部、真壁氏を称して当地に館を構えた。この館がその後の真壁城の位置であったのかは諸説あって明らかではないのが現状である。 慶長七年(1601)、佐竹氏は関ケ原時の去就を疑われたためか、出羽移封となる。真壁氏もこれに従うことになるが、減封の移封であるため、同行の家臣を減らさざるを得ず、氏幹を含む多くの家臣が真壁に残った。出羽国仙北郡角館に移ったのは十九代当主房幹、弟重幹と家臣の酒寄、鈴木、来栖、浜野等数人であったとされている。
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▲外曲輪北側のクランク状になった土塁線。 |
▲外曲輪。 |
▲真壁城本丸の駐車場。建物は真壁町の体育館。 |
▲車を降りると城址碑が目に入る。その脇に真壁城の案内図と概略の書かれたパンフが入っているポストが立っている。 |
▲ポストに入っていた案内図を片手に本丸から二の丸へ向かう。 |
▲二の丸(U郭)は本丸を囲むリング状の曲輪となっている。少し高くなっているため、中城(V郭)とその先の外曲輪(W郭)が見渡せる。 |
▲二の丸と中城の間の堀。その先に筑波山が見える。 |
▲これも二の丸と中城の間の堀。 |
▲中城と外曲輪の間の土塁と堀。 |
▲外曲輪南側の虎口。 |
▲虎口を出て外側から見た土塁。 |
▲外曲輪の土塁上を歩いて東へ向かう。木の茂っている所は外曲輪最東端で鹿島神社が鎮座する。 |
▲鹿島神社。この周囲にも土塁が巡っている。 |
▲鹿島神社北側の堀。 |
▲鹿島神社から北側の土塁に沿って歩く。これは外曲輪最北部のクランク状に屈曲する土塁。 |
▲最後に中城から全体を見渡して本丸へと戻る。 |
▲本丸北側には稲荷社があり、その手前に城址碑が建っている。 |
▲「史跡真壁城址」の碑。 |
▲城址碑のそばには鬼道無と恐れられた真壁久幹の開いた「神道霞流剣術発祥之聖地」と書かれた木標が立っている。 |
▲本丸に掲げられている案内図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年5月2日 |
主要参考資料 | 「真壁家の歴代当主」 |
↑ | 「中世の真壁氏」他 |