(みさきじょう)
神奈川県三浦市城山町
▲ 三崎城は三浦氏によって戦国期に築かれたとされるが、城郭
として本格的に改修されたのは後北条氏の手によってであった。
(写真・三崎漁港から見た三崎城址。中央丘の上の白い
建物辺りがU郭、その左の白い建物辺りが主郭となる。)
後北条水軍の城
三崎城がいつ頃築城されたのかは明確ではないが、関東地方が兵乱の巷と化する15世紀中頃に城郭化されたものと見られている。当時、三浦半島を本拠地としていたのは鎌倉以来の名族三浦氏で、戦国争乱の渦中にあって相模屈指の勢力を誇るに至っていたのである。 永禄十年(1567)、四代氏政は伊豆韮山城主の弟氏規に三崎城主を兼任させた。伊豆水軍を配置させるためのものであったと思われる。天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐時、氏規は韮山城に籠城、三崎城は家老の山中上野介が守った。小田原落城により三崎城も開城降伏した。 |
▲三浦市役所。主郭北側に位置しており、前の道路はかつての堀跡になる。 |
▲市立図書館の北側道路沿いに残る土塁。かつてのU郭北側を廻っていたものである。 |
▲体育館前の道路沿いに建つ城址碑と説明板。 |
▲「三崎城跡」の碑。 |
▲城の最東端に位置する出丸跡。慰霊堂が建てられている。 |
▲ 慰霊堂のある出曲輪と図書館のあるU曲輪の間にある堀切跡。急坂の道になっている。 |
▲市役所の南200mほどの光念寺駐車場脇に残る土塁跡。 |
▲同じく土塁跡。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2013年1月4日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「関東の名城を歩く・南関東編」他 |