大石良雄屋敷
(おおいしよしたかやしき)

国指定史跡(大石良雄宅跡)

     兵庫県赤穂市上仮屋     


▲大石良雄屋敷は主君浅野長重に仕えて筆頭家老に取り立てられた大石
良勝の赤穂藩時代の宅跡である。良勝の三代目が内蔵助良雄である。
(写真・大石宅跡の長屋門)

赤穂藩国家老大石氏の屋敷跡

赤穂城三之丸の大手門をくぐり本丸方向へ向かうと右手に立派な長屋門が建っている。国の史跡に指定されている大石良雄宅跡の長屋門である。大石良雄(よしたか)は赤穂藩の筆頭家老大石内蔵助のことである。大石内蔵助は元禄赤穂事件(元禄十四年/1701-同十五年/1702)で、四十七士を率いて主君浅野内匠頭長矩の敵吉良上野介義央を討取ったことで知られている。いわゆる「忠臣蔵」である。

長屋門から宅内に入ることはできないので迂回して赤穂大石神社へ向かう。大石宅跡はこの大石神社の境内地内となっている。神社に向かう参道の両側には四十七士の石像が並んでいる。境内には義士宝物殿、同別館、義士木像奉安殿の資料館があり、大石宅跡の長屋門と庭園が残されている。屋敷は畳数で三百八畳という広大な屋敷であったが享保十四年(1729)に焼失、長屋門と庭園だけが残った。

元禄十四年(1701)三月十四日、江戸城松の廊下にて勅使接待役の赤穂藩主浅野内匠頭が高家筆頭指南役の吉良上野介に斬りかかるという刃傷事件が起きた。五代将軍徳川綱吉は勅使下向そして将軍勅答という儀式の日であっただけに怒りはすさまじく、浅野内匠頭に即日切腹、浅野家取り潰し、城地没収を命じた。一方の吉良上野介には御咎めなしであった。

江戸の赤穂藩の藩邸では大騒ぎとなったことは言うまでもない。申の下刻(午後五時頃)、国許へ凶変を知らせる急使(早打)が藩邸を出た。急使は馬廻速水籐左衛門満堯と中小姓萱野三平重実の二人であった。二人は昼夜兼行で早駕籠を走らせ、赤穂城の大石宅の長屋門を叩いたのが十九日卯の刻(午前六時頃)であった。

急使が大石内蔵助に渡した注進状には刃傷事件が起きたということのみであった。速水、萱野の急使第一便に続いて第二便足軽二人が酉の中刻(午後六時頃)に着いたがこれは浅野大学長広(内匠頭長矩の弟)からの書状で内容は刃傷が起きたことと家中の者たちは騒ぐことのないようにというものであった。そして第三便、戌の下刻(午後九時頃)に原惣右衛門と大石瀬左衛門が到着した。この原、大石のもたらした報せによって主君の切腹、御家取り潰し、城地召し上げが判ったのである。

大石内蔵助は直ちに藩士二百余人の総登城を命じ、事件の顛末と今後の方針に関する評定を開いた。議論百出したが結局は無血開城となり、その後の御家再興も叶わず、やがて吉良邸討ち入り実行へと時は流れて行く。

ちなみに大石氏の来歴を簡単に見ておきたい。平安中期、平将門を追討した鎮守府将軍藤原秀郷の子孫下野国の小山氏の一族である良郷が後に近江国栗田郡大石庄の下司職となり大石氏を名乗ったことに始まるとされる。良郷の後、六代目の良信は豊臣秀次に仕えていたが秀次が秀吉によって滅ぼされると大石庄に隠棲した。

この良信の次男良勝は幼くして寺に預けられたが十四歳のときに寺を抜けて江戸に走り、浪人となった。十八歳(慶長九年/1604)のとき下野国真岡藩主浅野長重に仕官して小姓となり、三百石を給せられた。その後、大坂の陣で戦功をあげ千五百石を賜って永代筆頭家老となった。正保二年(1645)、浅野長重の次代長直は赤穂藩五万三千石へ国替えとなり、良勝も赤穂へ移った。慶安三年(1650)良勝、没。

良勝の遺領を継いだ良欽(よしたか)も筆頭家老として浅野長直、長友、長矩の三代に仕えた。良欽は子良昭が若死したためその子良雄を養子にして家督を継がしめた。延宝五年(1677)、良欽死去により良雄(十九歳)が継ぎ、見習家老として浅野長矩に仕えた。二年後、国家老となり、浅野家改易(1701)を迎えることになる。

現在、史跡となっている大石宅長屋門の門扉を元禄十四年(1701)三月十九日の早朝、江戸からの急使がけたたましく叩いたことを想うと感慨深いものが込み上げてくる。


▲元禄14年(1701)3月19日午前6時頃。江戸における変報を伝える急使がこの門を叩いた。

▲大石神社の参道。両側に赤穂義士の石像か立ち並んでいる。

▲大石内蔵助良雄の石像。

▲内蔵助の嫡男大石主税良金の石像。

▲赤穂大石神社の神門。

▲義士宝物殿。

▲大石屋敷跡の庭園。

▲大石屋敷の長屋門の内側。火災で焼失することなく建て替え等を経て現在に残る。

▲長屋門の一画には江戸からの急使と注進状に目を通す大石内蔵助の様子が観光用に再現されている。実際にはここではなく屋敷で接した。

▲赤穂城三之丸大手門。



----備考----
訪問年月日 2023年11月14日
主要参考資料 「実録忠臣蔵」他

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