(さかもとじょう)
滋賀県大津市下阪本3
▲坂本城は織田信長の比叡山焼き討ち後に、その監視と湖上水運
支配のために築城された。信長の命を受けた明智光秀によって築かれ
たこの城は安土城と並ぶ豪壮華麗なものであったと伝えられている。
(写真・二ノ丸中堀付近に建つ城址碑。)
時は今、俺も男の意地がある
元亀二年(1571)九月、織田信長は浅井・朝倉に加担した比叡山を三万の軍勢をもって焼き討ちした。 |
▲国道161号沿いの坂本城跡公園入口に建つ大きな城址碑。 |
▲坂本城跡公園内には光秀像や説明板、歌碑などが並んで建っている。 |
▲明智光秀公の像。 |
▲説明板の縄張図。 |
▲光秀像の隣に建つ歌碑。 |
▲本丸跡はキーエンス研修所の敷地となっている。 |
▲大津市教委による坂本城本丸跡の碑。キーエンス研修所前に建っている。 |
▲二ノ丸中堀付近に建つ城址碑と説明板。 |
▲明智塚。坂本城落城に際して光秀の脇差名刀の郷義弘や宝器物を埋めた跡であり、明智一族の墓所であると伝えられている(説明板より)。 |
▲大津市打出浜の琵琶湖文化館近くに建つ「明智左馬之助湖水渡り」の碑。 |
▲打出浜から坂本方面を望む。山崎合戦の翌日、安土城にいた明智秀満は坂本城へ戻ろうとしたが、ここまで来ると秀吉軍のために陸路を遮られたために琵琶湖に乗り入れて帰城したという。 |
▲坂本城跡公園内の歌碑に描かれている湖水渡りの絵。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2017年1月4日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「大津の城」他 |