(みやづじょう)
京都府宮津市鶴賀
▲宮津城は織田信長の命によって丹後へ進攻した細川氏によって
築かれたのがはじまりで、丹後経営の本拠地となった。関ケ原後、
細川氏に替わって入部した京極氏によってさらに拡張・改築された。
(写真・外堀となっていた大手川に復元された城壁。)
近世丹後経営の城
戦国期の丹後国は一色氏が守護として建部山城(舞鶴市)を本拠として支配していた。 |
▲宮津城太鼓門。現在は宮津小学校の正門となっている。平成22年(2010)に修復・整備された。宮津城の建築物遺構としては唯一のものである。 |
▲国道沿いに置かれた巨石。本丸入口くろがね門の袖石垣の一部とのことである。 |
▲京都丹後鉄道宮津駅。宮津城跡は市街化してしまって目立った遺構は残されておらず、駐車可能な場所もない。そのため、駅駐車場に車を置いて市内を散策することにした。 |
▲駅前通りをまっすぐ西へ行くとかつて大手門のあった大手橋がある。その手前に一色稲荷社がある。「丹後領主一色義清自刃の処」の標柱が立っている。ここは城内三の丸にあたるところである。義清は一色氏最後の当主とされ、細川の陣中に斬り込んで壮絶な最期を遂げたと伝わる。 |
▲一色稲荷の由来の説明板。 |
▲大手川の改修工事の際に城下の風情を再現しようと、約240mの城壁が復元された。石垣の一部はかつてのものだそうである。 |
▲市役所南隣の小公園に建つ細川ガラシャの像。 |
▲生誕450年を記念して建てられたというガラシャ像。かつての宮津城の方を向いている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2017年4月29日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」他 |