(おぎゅうじょう)
国指定史跡(松平氏遺跡)
豊田市大内町城下
▲大給城は松平氏発展の過程で支配下に置かれた山城である。後に大給松平氏の
根拠地となった城で、同族間の争いで焼き打ちされるなどの歴史を残している。
(写真・主郭西側の巨岩群。)
松平氏飛躍の大給攻略
松平泰親が矢作川西岸の岩津城を攻略したのは応永二十八年(1421)のことであった。泰親は初代親氏の舎弟であり、この岩津城攻めには甥の信光を伴っていた。その後松平氏は岩津城を根拠地として四隣に勢力を拡大して行くことになる。三代目となった信光の時代に松平氏は多くの族葉を形成して各所に配し、また姻戚を多方面に広げるなどして大きく飛躍した。 |
▲三郭虎口の石積み。。 |
▲主郭西端の巨岩「物見岩」。 |
▲林道からの登城口。 |
▲山道を登ってしばらくすると尾根道に出る。左へ行くと城址であり右に行くと松平乗元の墓がある。 |
▲松平乗元の墓。乗元は大給松平氏の初代である。またこの地は大給城の出丸跡とも言われている。 |
▲城址入口に建つ史跡碑。松平氏館跡、松平城跡、高月院と共に松平氏遺跡として国指定史跡となっている。 |
▲三郭の虎口。 |
▲二郭への虎口。 |
▲二郭。 |
▲主郭東側の石塁。 |
▲主郭虎口の石積み。 |
▲主郭。。 |
▲主郭の岩頭に建つ城址碑。 |
▲主郭西側には巨岩が点在している。 |
▲物見岩からの展望。 |
▲主郭南側にも巨岩が点在している。 |
▲見学者用駐車場。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2018年11月10日 |
主要参考資料 | 「豊田の史跡と文化財」 |
↑ | 「松平氏とその史跡」他 |