(えじりじょう)
静岡県静岡市清水区江尻町
▲江尻城は武田信玄が駿河支配の本拠として築いた城である。海を持た
なかった武田氏にとって江尻城はかけがえのない重要な城であった。
(写真・城跡(川の左側/北岸)の背後を流れる巴川。)
信玄の駿河支配の拠点城
江尻城は永禄十一年(1568)の武田信玄による駿河進攻による支配拠点のひとつとして整備がはじめられ、築城化が進められた。海運の拠点、物資の集積地として今川時代より江尻の地は重要視されており、湊管理の代官が置かれていたという。 |
▲道路の左(西)側が本丸跡で、現在は江尻小学校となっている。この道路はちょうど内堀のあった位置になる。 |
▲巴川北岸。現在の巴川は直線の流れとなっているが、戦国当時は北側へ蛇行して孤を描いていた。 |
▲城址の南側を流れる巴川。 | ▲巴川沿いの説明板。 |
▲江尻城復元図。現在の地図と対比されているので散策の前に見ておきたい。 |
▲江尻小学校南側にある稲荷神社。 |
▲江尻小学校東側道路沿いに立つ城址説明板。 |
▲江尻城復元図。 |
▲本丸跡に建てられている江尻小学校の「本丸門」。 |
▲江尻小学校本丸門の北すぐの所に「二の丸町」の町名由来の説明板。 |
▲巴川を渡る現代の東海道である国道1号線。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年12月14日 |
主要参考資料 | 「静岡県の城跡」静岡古城研究会 |
↑ | 「日本城郭総覧」他 |