(ごかしょじょう)
県指定史跡
三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦
▲五ヶ所城は伊勢南朝方として活躍した愛洲氏の居城として知
られている。愛洲氏に関する来歴や事績には明確でない部分が
多いが、南伊勢に勢力を持った土豪であったことは確かである。
(写真・五ヶ所城主郭。)
伊勢南朝の土豪、愛洲氏の居城
五か所城の城主とされる愛洲氏のことに関しては分からないことが多いようである。その名が史料上最初に見えるのは暦応二年(延元四年/1339)の神山城(松阪市)の戦いに南朝方として愛曾(愛洲)六郎左衛門尉が出陣し、北朝軍を撃退していることであろうか。ただし、いつ頃から五ヶ所城を拠点とするようになったのかは明確ではない。 |
▲五ヶ所城西麓に建てられた「愛洲の館」。陰流発祥の地らしく半分が剣道場、半分は資料館となっている。五ヶ所城址の地形模型などが展示されている。 | ▲愛洲の館前にある五ヶ所愛洲関係案内図。 |
▲愛洲の館裏には城址へ直登できる階段が設けられている。「鍛錬の段」と名付けられているようにかなりきつそうである。城址へ上るにはこの階段と別に城山の北側山裾を回って裏側に出る遊歩道が整備されている。階段は下りに利用することにして遊歩道の方へ歩むことにした。 |
▲山裾を進むと岩場に八幡社が祀られている。創立年代は不明であるが愛洲氏の代に祀られたと伝えられているとのことである。 |
▲「剣道先師頌徳碑」。剣祖愛洲移香斎の里ということで剣道が盛んなようである。 |
▲城址北側を流れる五ヶ所川の清流。 |
▲城址北側山裾に残る井戸跡。上から綱が垂らされていた。大正10年頃に発掘された際に径22cmほどの釣瓶桶底が出土したと説明されている。 |
▲井戸跡を過ぎたあたりから登山道となる。 |
▲登山道を登って数分で城址の東側にでる。案内板の所から竹林へと入る。 |
▲案内板のところから竹林を西へ向かうと空堀が現れる。 |
▲正面が主郭への虎口である。 |
▲左(南)を向くと空堀。 |
▲そして土塁。 |
▲主郭へ向かう。 |
▲主郭に入るとまずこの説明板である。 |
▲説明板の横に建つ「五箇所城阯」の碑。 |
▲主郭(T郭)の様子。 |
▲主郭内に建つ「愛洲公顕彰碑」。 |
▲顕彰碑の横に建つ「剣祖愛洲移香斎生誕之里」の碑。 |
▲主郭北側に残る土塁跡。 |
▲主郭南側の空堀に隔てられた削平地。U郭とされている。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2015年6月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「愛洲物語」他 |