(まりこじょう)
静岡県静岡市駿河区丸子
▲丸子城は駿府西方を守る城として今川氏によって築かれたとされるが、
明確なことは分らない。永禄11年(1568)に駿河へ進出した武田氏によって
本格的な山城に改築されたが、その真価を発揮することなく廃城となった。。
(写真・丸子城本曲輪千畳敷。)
武田流山城要塞
文明八年(1476)、今川義忠が遠州塩買坂で横地・勝間田の残党に襲われて落命した。義忠の嫡男龍王丸(氏親)は幼少であったため今川家中は家督をめぐって小鹿(今川)範満擁立派と真っ二つに分かれてしまった。そこで龍王丸派の伊勢新九郎(後の北条早雲)が奔走して龍王丸成人までは範満が代行するということで内紛を収めたということがあった。 |
▲大手曲輪に入る土橋。 |
▲東側から見た丸子城の遠景。 |
▲登城口となる丸子稲荷神社。 | ▲稲荷神社の右手が登城路の出発点となる。 |
▲丸子稲荷神社から急な登城路を登りきると同神社の奥宮が祀られている。 |
▲奥宮の所に立てられた縄張図。 |
▲稲荷神社奥宮から大手曲輪に至る平坦地は兵員を収容する駐屯地と呼ばれている。 |
▲大手曲輪へ向かう。 |
▲大手曲輪の北から東側にかけてL字形に横堀が掘られている。三日月堀と呼ばれている。 |
▲大手曲輪。丸子城東端に位置する。 |
▲北曲輪。北側と西側に土塁がある。 |
▲丸子城の見どころのひとつである長大な横堀であるが、草木に覆われていてその迫力が伝わらないのが残念である。 |
▲北曲輪西側横堀の外側に設けられた堡塁。 |
▲二の曲輪。 |
▲二の曲輪と本曲輪を隔てる堀切。 |
▲本曲輪北側の枡形虎口。 |
▲本曲輪。最も広い曲輪から千畳敷と呼ばれている。 |
▲本曲輪に立てられた見取り図。 |
▲丸子城西麓にある誓願寺。 |
▲誓願寺の片桐且元公夫妻の墓。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年9月6日 |
主要参考資料 | 「静岡県の城跡」静岡古城研究会 |
↑ | 「静岡の山城ベスト50を歩く」 |
↑ | 「戦国のロマンを訪ねて丸子城址をあるく」他 |