(まつおかじょう)
町指定史跡
長野県下伊那郡高森町下市田
▲松岡城は平安時代にまで遡る松岡氏の居城である。実際に築城されたのは
南北朝時代と見られており、現在の遺構は戦国時代に完成されたものであろう。
(写真・松岡城本丸と城址碑。)
松岡氏五百年を支えた段丘の城
松岡城の城主であった松岡氏は平安時代の前九年の役(1056-62)で源頼義に滅ぼされた安倍貞任の次男仙千代が当地(市田郷牛牧村)に逃れ、郷民に推されて地頭となり、松岡平六郎貞則と名乗ったのを始まりとしたと言われている。この当時の居館は松岡城址の北西約500mの松岡古城跡がそうであったとされ、鎌倉期を通じてそこに住していたようである。 |
▲二の丸と三の丸の間の堀切(二の堀)。右側が二の丸である。 |
▲二の丸にあった説明板の鳥瞰図。 |
▲松源寺前の駐車場。 | ▲松源寺。X郭、又は西総構と呼ばれる城内にある。 |
▲松源寺から東へ進む。 |
▲眼前に見事な空堀が現れる。三の丸手前の堀である。 |
▲三の丸。 |
▲三の丸と二の丸の土橋。 |
▲二の丸。 |
▲二の丸にあった説明板の縄張図。 |
▲二の丸に建つ慰霊之碑。松岡氏五百年と刻まれている。 |
▲二の丸と本丸の間の空堀。 |
▲本丸西辺に残る土塁。 |
▲本丸。 |
▲本丸東端の城址碑。 |
▲本丸からの展望。 |
▲遠くの山並みは南アルプス/明石山脈である。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年8月14日 |
主要参考資料 | 「高森町パンフ/松岡城跡」他 |