(おかやまほんじん)
市指定史跡
岐阜県大垣市赤坂町
▲ 岡山本陣は関ヶ原合戦に際して徳川家康が最初に本陣所とした
ところである。合戦後は家康の勝利にあやかって勝山と呼ばれた。
(写真・岡山山頂の本陣跡。)
家康、三成の誘い出しに成功する
慶長五年(1600)八月二十三日、上州小山会議において打倒三成で結束した福島正則、田中吉政、加藤嘉明、細川忠興、藤堂高虎、池田輝政、堀尾忠氏、山内一豊、一柳直盛、浅野幸長、京極高知、黒田長政、井伊直政、本多忠勝といった東軍勢三万四千ほどが岐阜城を瞬く間に攻略した。その進撃は止まることなく翌日には黒田、藤堂、田中の軍勢が大垣城の西北赤坂に陣取った。 |
▲山頂に建てられた「史蹟関ヶ原合戦岡山本陣址」の碑。 |
▲杭瀬川の戦いの古戦場付近。 |
▲ 岡山本陣跡はこの安楽寺から登る。 | ▲ 安楽寺の梵鐘。関ヶ原合戦時、西軍大谷吉継が陣鐘として使っていたもので、戦後に家康が戦利品として寄進したものという。 |
▲ 本堂裏の石段が登り口である。 |
▲ 石段の両側には墓石が並んでいる。その中に戸田権左衛門の墓がある。権左衛門政純は播州赤穂城受け取りの大任を果たした。 |
▲ 岡山の中腹。土塁などの遺構は無いようだ。 |
▲ 山頂に建てられた「史蹟関ヶ原合戦岡山本陣址」の碑。 |
▲ 本陣址の碑と並んで建つ壬申の乱の古跡碑。 |
▲ 山頂の一部がコンクリートで固められている。大戦時に高射砲陣地として使用された名残である。 |
▲ 安楽寺駐車場から眺めた岡山。 |
▲ 岡山から北西600mほどの所に「兜塚」と呼ばれる墳丘があり、野一色頼母の墓碑が建っている。 |
▲ 野一色頼母は中村一栄の部将で、杭瀬川の戦いに際して西軍の挑発に乗って深入りしてしまい、討死してしまった。戦後ここに葬られ、鎧兜を埋めたと伝えられている。 |
▲ 岡山の約2kmほど南東に日吉神社がある。杭瀬川の戦いはこの辺りで起きたものとされる。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年11月3日 |
主要参考資料 | 「関ヶ原合戦」 |
↑ | 「歴史群像シリーズ関ヶ原の戦い」他 |