(おおしまじょう)
町指定史跡
長野県下伊那郡松川町元大島
▲大島城は伊那源氏片切氏の支流大島氏の居城であった。戦国期、武田信玄の伊那
支配によりその麾下に属した。城は武田氏の版図拡大により、その兵站基地として大
改修されたが、織田氏の侵攻に際しては城将の逃亡によりあえなく落城してしまった。
(写真・本丸に建つ慰霊碑と説明板。)
自落した武田流の城
平安末期、伊那源氏片切兵庫為行は八男八郎宗綱を片切郷の南にある大島郷に分知した。宗綱は郷名を名乗って大島氏初代となる。
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▲堀切。 |
▲城址である台城(大島城の別名)公園に立てられていた鳥瞰復元図。 |
▲城址入口。城址は台城公園として整備されている。 | ▲公園内に入ると空堀や切岸が目に入り、残存度の高い城跡であることが分かる。 |
▲二の丸付近の空堀。 |
▲二の丸馬出と土橋。 |
▲二の丸前面の空堀と切岸。 |
▲二の丸。 |
▲二の丸と本丸の間の空堀。 |
▲本丸。武田氏による大修築以前の大島氏時代の城域である。 |
▲本丸の慰霊碑。 |
▲慰霊碑の裏には天正10年2月に織田氏の伊那進攻により落城し、以来400年を数えるにあたりこの碑を建立したとある。 |
▲本丸に立つ説明板。 |
▲同じく縄張り図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年8月14日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「信州の城と古戦場」他 |