(しもやしろじょう)
愛知県名古屋市名東区陸前町
▲ 下社城は柴田勝家の誕生地として知られ、勝家が若き日々を過ごした城で
あった。勝家が越前北ノ庄城に移ったことにより廃城となったと言われている。
(写真・明徳寺境内からの展望と城址碑。)
若き日の柴田勝家の居城跡
柴田勝家は享禄三年(1530)にここ下社城で誕生したと名古屋市教委の説明板(現地)にある。無論、別説もあって大永二年(1522)、同六年(1526)とあって明確ではない。元来、勝家以前の柴田氏そのものが判然としないのであるから仕方ない。伝えられるところでは尾張守護斯波氏の一族で、斯波高経四代の孫義勝が越後国新発田の城主であったことから柴田を称したと言われるが、あまり確実なものではないようだ。その孫の勝義の代には尾張の当地に土着していたものと思われ、勝家が生まれたとされる。 |
▲明徳寺入口の石段を上った山門前に建てられた「柴田勝家公誕生地」の碑と説明板。 |
▲明徳寺からの眺め。右の高架は名古屋第2環状自動車道。 |
▲丘の上にある明徳寺。かつての下社城跡である。 | ▲明徳寺が当地に移転したのは寛文二年(1662)である。石段を上った山門前の左右に勝家誕生地と城址碑が建っている。 |
▲柴田勝家の誕生地の碑。 |
▲城址碑。 |
▲明徳寺本堂。かつての本丸跡といわれる。 |
▲明徳寺の鐘楼。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年11月2日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |