(うらがじょう)
神奈川県横須賀市東浦賀2-21
▲ 浦賀城は後北条氏の水軍拠点として整備強化された城である。
そして、宿敵里見水軍との戦いの最前線基地でもあった。
(写真・城址の対岸、西浦賀の陸軍桟橋から見た城山。)
浦賀海賊衆の水軍城
浦賀城を水軍拠点として整備・改修したのは北条氏康で、三崎城の支城としたとされている。 |
▲山頂(主郭)の叶神社奥の院。 |
▲城址(主郭南端)からの展望。眼前に浦賀水道。その先に房総の陸地が見える。 |
▲城址の南西麓にある叶神社。僧文覚が源家再興を願って勧進、後に源頼朝が源家再興の願いが成就したことから叶大明神と尊称したということである。 |
▲神社左手の石段を上って山頂に向かう。山頂には奥の院の社があり、そこが主曲輪跡であったものと思われる。 |
▲中腹付近に建てられている「勝海舟断食の碑」。 |
▲さらに山頂へと石段が続く。 |
▲奥の院の前に建つ「勝海舟断食の跡」の碑。 |
▲同説明板。 |
▲山頂の平坦部。主郭趾とされ、南端からは浦賀水道の先に南総安房の陸地が見える。 |
▲主郭部の東側には一段下がった所に腰曲輪状の平坦部が見られた。 |
▲主郭南端近くに立つ城址に関する説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年1月4日 |
主要参考資料 | 「関東の名城を歩く・南関東編」 |
↑ | 「古城の風景6」他 |