(ひこねじょう)
国指定特別史跡・国宝、百名城
滋賀県彦根市金亀町
▲彦根城は徳川譜代彦根藩主井伊氏の居城として関ケ原合戦後に築城された。その後、
井伊氏は一度の転封もなく彦根城主として続くと同時に幕閣としても重きをなした。
(写真・国宝の彦根城天守。)
徳川譜代三十万石、井伊氏の居城
関ケ原の合戦(慶長五年/1600)で敵中を突破して退却する西軍島津勢を猛追して活躍した井伊の赤鬼こと井伊直政は翌年一月、上野高崎城十二万石から近江佐和山城十八万石に加増転封となった。 |
▲彦根駅前の井伊直政の騎馬像。 |
▲大手前駐車場に車を停めると最初にお目にかかるのがこの石垣。きれいにRを描いた石垣は上段を鉢巻石垣、下段を腰巻石垣と呼ぶ。 |
▲内堀に架かる大手門橋。多くの観光客は反対側の表門口から登城するが、わたしは大手門口から登城した。 |
▲大手門枡形。その名の通り、築城当初の正面入口である。後に表門口が正面入口となる。 |
▲大手門石垣。 |
▲大手山道。 |
▲大手山道を上がると正面に天秤櫓が見えてくる。 |
▲大手山道を上がりきると鐘の丸と太鼓丸の間の大堀切に出る。 |
▲大堀切から見上げた天秤櫓の左側。 |
▲大堀切から一旦鐘の丸に上がる。 |
▲鐘の丸。築城時、最も早く構築され、藩主井伊直継が佐和山城から居を移した場所である。 |
▲天秤櫓。彦根城特有の櫓形式である。断定はされていないが、長浜城の大手門を移築したものと言われている。 |
▲天秤櫓の右側。石垣の積み方が左右で違っている。橋の右側が築城当初からの牛蒡積み、左側は嘉永7年(1854)の修理で積み替えられた落し積みである。 |
▲天秤櫓入口の橋から見た大堀切。 |
▲天秤櫓の内側。 |
▲天秤櫓内部に入る。 |
▲天秤櫓から見た佐和山城。 |
▲天秤櫓から太鼓門へ向かう。 |
▲太鼓門櫓。 |
▲鐘突所の時報鐘。今でも朝6時から夕方6時まで3時間おきに鳴らされている。 |
▲太鼓門。 |
▲太鼓門を入ると本丸である。 |
▲彦根城天守。ずんぐりしていて色々な破風で飾られている天守は彦根城天守の特徴である。 |
▲天守台の牛蒡積みの石垣。 |
▲本丸の北に続く西の丸。 |
▲西の丸三重櫓。 |
▲西の丸の虎口。 |
▲西の丸北側の堀切。 |
▲堀切の北側の出丸。 |
▲外側から見た西の丸三重櫓。 |
▲山崎山道を下る。 |
▲山崎山道を下って東側に出る。 |
▲山側に設けられた石垣。登り石垣と呼ぶ。攻め手の山中移動を阻止するためのもの。 |
▲黒門口。 |
▲黒門橋から見た内堀。 |
▲楽々園(槻御殿)の奥書院。 |
▲玄宮園。 |
▲金亀児童公園の井伊直弼大老の像。 |
▲井伊直弼の功績をたたえる歌。「一身に責負ひまして立ちましし大老ありてこそ開港はなりぬ」 |
▲内堀と表御殿。表御殿は彦根城博物館として外観復元されたもの。 |
▲佐和口。左側が佐和口多門櫓。 |
▲佐和口東側に続く多門櫓。 |
▲中堀の南側にある埋木舎。井伊直弼が若き時代を過ごした屋敷。 |
▲井伊直弼(右)と長野主膳(左)。 |
▲表門橋の前に建つ「琵琶湖八景月明彦根の古城」碑。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年9月5日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
〃 | 「彦根城ガイドブック」他 |