(わかまつじょう)
国指定史跡・百名城
福島県会津若松市追手町
▲ 若松城は別名鶴ヶ城と呼ばれる。蒲生氏郷が築き、会津松平氏が守り続けたこの
城は会津武士道を象徴する城として今もなお、訪れる者を歴史の彼方に誘っている。
(写真・再建された若松城天守閣)
会津士魂を培った堅城
若松城は一般的には会津若松城又は鶴ヶ城と呼ばれている。若松の地名は天正十八年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置によって蒲生氏郷が四十二万石(後に検知・加増で九十二万石)で封じられた際に名付けられたものである。それまでは黒川と呼ばれ、戦国大名葦名氏の本拠地であった。若松城はその葦名氏の居城であった黒川城を大改修して築かれたものである。 |
▲天主閣から見た走長屋とその先端の干飯櫓。 |
▲本丸東側虎口に架かる廊下橋と内堀。 |
▲本丸への出入り口は三ヵ所である。これは西出丸から本丸西の帯曲輪に至る土橋で梅坂と呼ばれている。 |
▲本丸西の帯曲輪にある上杉謙信公の仮廟所とされたと思われる場所。 |
▲本丸への表門である鉄門。 |
▲天主閣と走長屋多聞櫓。 |
▲「荒城の月」碑。明治31年(1898)、土肥晩翠が若松城を詩材として作詞した。 |
▲本丸最南端に位置する月見櫓跡。 |
▲本丸御殿跡から見た天守閣。 |
▲奥御殿跡。 |
▲本丸東側の枡形虎口。 |
▲本丸東側の高石垣。 |
▲本丸北側にある鶴ヶ城稲荷神社。南北朝の頃、葦名直盛が初めて当地に館を築く際に苦心し、稲荷社に祈ったところ霊夢により狐の足跡をもとに縄張を決めたという。 |
▲北出丸の入り口である大腰掛。戊辰戦争時、新政府軍はついにここを突破できなかった。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年5月4日 |
主要参考資料 | 「やさしい会津の歴史」 |
↑ | 「名城を歩く8・会津若松城」他 |