塩買坂陣場
(しょうかいざかじんば)

御前崎市新野


▲塩買坂陣場は戦国時代に高天神城攻略を目指す武田勢が戦略拠点として布陣した。
(写真・陣場跡の説明板)

高天神城攻めの陣場

御前崎市新野の北部と菊川市高橋の境界に戦国時代の陣場跡がある。かつて塩の道と呼ばれた秋葉街道の古道を扼する位置にあり、この辺りを塩買坂(しょうかいざか)と呼んでいる。

元亀三年(1572)、駿河を制した武田信玄がここ塩買坂に陣を張り、遠江へ侵攻した。天正二年(1574)には信玄の後を継いだ武田勝頼がここに旗を立て、要衝高天神城を攻め落としている。城館資料には「眺望絶佳で、小笠平野を通し高天神城が指呼の間にあり」とあるように戦略上、絶好の地であったようだ。

武田勝頼はここに布陣した際に麾下の軍勢を新野川沿いに展開させ、古城跡を修築して支援拠点とした。八幡平城舟ヶ谷城天ヶ谷城釜原城などがそうであると見られている。

 天正三年(1575)、長篠設楽原の戦いで武田勝頼は大敗を喫した。徳川家康は直ちに諏訪原城を攻略して高天神城の支援拠点を奪い、松平康親を城番とした。翌年、勝頼は高天神城への兵糧補給のために遠江へ出陣、塩買坂付近には諏訪原城の松平康親の一隊が出没していたために海岸沿いに進軍して高天神城へ向った。この時、真田昌幸の一隊千人だけが「信玄公御時の如く(甲陽軍鑑)」この塩買坂を押し通ったという。松平康親らは真田勢の堂々たる進軍に手出しできなかったようだ。

現在では陣場跡とされる大部分が茶畑に開墾されており、城郭としての明確な遺構の確認はできないという(「静岡県の城跡」静岡古城研究会)。


▲陣場跡から北へ下る「塩の道」。陣場はこの古道を扼している。

▲秋葉道・塩の道踏査研究会による案内板。案内板の左の道路から南側(左側)が陣場跡になる。

▲陣場跡の大部分は茶畑に開墾されている。

▲道路沿いに立てられた説明板。

----備考---- 
訪問年月日 2024年7月4日
 主要参考資料 「静岡県の城跡」
「静岡県の中世城館跡 他

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