(ごかささやまじょう)
町指定史跡
三重県多気郡多気町朝柄
▲五箇篠山城は古くは五ヶ城と呼ばれており、土豪野呂氏の居城
とされている。北畠氏滅亡後、還俗した北畠具親と旧臣らがこの
城に再興の旗を上げ、最後の戦いに臨んだことが知られている。
(写真・土塁跡の残る主郭。)
北畠氏再興の夢、五ヶ古城に潰える
鎌倉時代中頃に野呂氏隆が上野国より当地に移住して後、五箇篠山城は野呂氏代々の居城であったとするのが一般的であるが、確実ではないらしい。また、氏隆の孫の氏晴が南北朝期に築城したとも言われており、国司北畠氏に属して南朝方の拠点のひとつであったようだ。
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▲城山登城口に建つ城址碑。背後の階段を上る。 |
▲同じく登城口に設けられた説明板。 |
▲城址説明板。来歴に関しては代々野呂氏の居城であったとだけ記されている。 |
▲登城口の道路を挟んだ反対側には郷土資料館併設の多気町立勢和図書館がある。 |
▲登城路である遊歩道から見下ろした駐車場。 |
▲登城路である遊歩道は山頂まで階段が整備されている。 |
▲山頂近くなると主郭が迫ってくる。 |
▲主郭切岸。遊歩道は主郭西側から南側へ回り込んでいる。 |
▲主郭への入口。 |
▲主郭虎口の枡形部分。 |
▲主郭。標高140m、比高60m、登城口からの距離250m、10分ほどである。主郭には土塁が巡らされている。 |
▲主郭から北方の展望。眼下に櫛田川が流れている。 |
▲主郭東側の土塁。 |
▲主郭から見たU郭方面。手前には二重堀切が存在する。城の構造は主郭を最西端にして東側尾根上に曲輪が連なる連郭式山城となっている。 |
▲U郭。城址の主郭とU郭は樹木が伐採されて遺構が確認しやすく整備されているが、V郭以降の曲輪は藪状態で簡単には踏み入れない。 |
▲U郭から見た二重堀切。中央の瘤状の高まりは削り残された部分とされている。 |
▲U郭から見下ろしたV郭との間の堀切。かなりの深さがある。 |
▲主郭からV郭にかけて曲輪の周囲にはい段下がって帯曲輪が巡っている。以上の遺構は天正11年(1583)の落城時のものと断定されている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年12月29日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
〃 | 「三重の山城ベスト50を歩く」他 |