(あけちじょう)
県指定史跡
岐阜県恵那市明智町
▲明知城は明知遠山氏累代の居城である。戦国期には武田氏や
森氏との争いで幾度となく城を追われたが、徳川家康に従い続けた
ことで関ケ原後には旧領を回復し、旗本として明治に至っている。
(写真・明知城本丸跡。)
執念の故地奪回
源頼朝が平家追討の旗揚げをした当時からの随身で後に美濃遠山庄の地頭となった加藤景廉が美濃遠山氏の祖である。景廉の嫡男景朝は岩村(岩村城)に本拠を構え、その子孫は恵那郡各地に拡がった。
|
▲出丸入口の城門石垣跡。 |
▲本丸跡に立つ説明板の縄張図(管理人加筆)。 |
▲城址東側登城口の駐車スペース。 |
▲駐車スペースからの登城口。 |
▲登城口から堀底道を行くとすぐに搦手砦と呼ばれる曲輪が現れる。 |
▲搦手砦から少し登ると大きな窪地に出る。 |
▲この窪地は貯水池とされている。丸木樋を使ってここへ水(飲料水)が溜められていたらしい。 |
▲貯水池からさらに登ると尾根筋に出る。まずは左手(西側)の出丸へ向かう。 |
▲出丸跡。かなり広い曲輪で、本丸以上に重要視されたといわれる。 |
▲出丸の周囲は切り立った絶壁となっており、猿も登れずに引き返したことから「猿戻し」と呼ばれている。 |
▲出丸に残された穴の穿たれた柱石。陣屋の礎石であったらしい。 |
▲再び尾根筋を東側へ向かう。 |
▲二ノ丸入口手前に腰曲輪の案内板が立っている。本丸の周囲を巡っている。 |
▲本丸手前の二の丸。 |
▲二の丸から本丸虎口へ登る。 |
▲本丸跡。県指定史跡の標柱が立つ。 |
▲本丸跡。 |
▲城址西麓の陣屋跡の堀。 |
▲陣屋跡の北側にある龍護寺には明智光秀公の御霊廟(おはか)がある。 |
▲遠山氏累代の墓所。龍護寺は遠山利景によって建立され、明知遠山氏の菩提寺となった。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2017年3月11日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」他 |