寺津城
(てらづじょう)

西尾市寺津町御屋敷


▲寺津城は永正の頃(1504-21)に築かれ、以来大河内氏の居城となった。三河
一向一揆の際に一揆方に付いたため、戦後は浪々の身となり、城は廃された。
(写真・城跡である瑞松寺に建つ城址碑)

吉良家臣そして徳川譜代へ

碧海台地の南端に近い西側、寺津漁港近くに浄土宗の瑞松寺があり、境内には「寺津城趾」の碑が建てられている。戦国期に大河内氏の居城であった城跡である。

大河内氏は摂津源氏の源三位頼政の孫顕綱が三河大河内郷(岡崎市大平町大河内)に移住し、大河内を称したことにはじまり、吉良氏に仕えた。二代政顕(政綱)は寺津と江原の両邑を支配し、吉良家家老として勢力を拡大した。鎌倉時代のことである。

顕綱から三百年ほど後の戦国時代、永正(1504-21)の頃、十代信政(信綱)は寺津に城を築いて居城とした。近隣の長縄城巨海城も大河内氏支流によって築かれ、一族は繁栄したという。

ほぼ同時代に吉良氏の代官として遠江浜松荘(引馬城)に赴任した大河内備中守貞綱の名が伝えられている。「寛政重修諸家譜」では大河内氏五代に貞綱の名が記されているが、これは応永四年(1397)没となっており、室町初期の人で時代が合わない。系図には記載のない人物であるが寺津城を築いた信政と同時代の人物であり、兄弟又はそれに近い関係ではなかったかと思われるが明確なことは分からない。

十一代信貞は寺津城の南にある金剛院を復興して菩提寺とし、城の北の寺津八幡宮も再興するなどして大河内氏の繁栄ぶりがうかがえる。永禄元年(1558)没。

天文十五年(1546)生まれの金兵衛秀綱はわずか十二歳で寺津城主となった。秀綱の仕えた主君は東条城主吉良義昭であった。

永禄四年(1561)、松平元康(家康)による東条城攻撃に際しては室城主富永伴五郎忠元や長縄城主大河内小見基高らと共に東条城へ馳せ参じた。戦いは城外の藤波畷の戦いで激戦となったが富永伴五郎、大河内小見ら多くの吉良方の武将が斃れて敗れた。戦意を失った義昭は和睦の使者として元康方の松井忠次の陣へ秀綱を派遣した。

永禄六年(1563)、三河一向一揆の勃発によって吉良義昭は再び東条城に挙兵して松平家康に反旗を翻した。秀綱は挙兵する義昭に諌言するも受け入れられず、長縄の小見基高の子政綱とともに打って出、政綱は大津伊織を、秀綱は慶典法師を討取る手柄を挙げた。翌年、一揆方は降伏し、義昭は近江の六角氏を頼って落ち延びたと言われる。

一揆後、多くの武士が家康のもとへ帰参したが、秀綱は「二君に仕えるは恥なり」として寺津城を捨てて浪々の身となった。二十余年が経った頃であろうか、家康の懇請を受けて仕官、遠江国山名郡稗原(磐田市稗原)の地を拝領、三遠両国租税の事を請け負った。家康の関東移封後は武蔵国高麗郡(埼玉県日高市)内に七百五十石余を拝領した。

秀綱の嫡男久綱も父と共に浪人となっていたが慶長十五年(1610)に徳川家に仕え、伊奈忠次配下で地方の奉行を務めた。次男重綱が継ぎ、子孫は七百五十石の旗本として続いた。

秀綱の次男正綱は天正十五年(1587)に家康の命により長沢松平正次の養子となり松平を称する。関ヶ原の戦い、大坂冬・夏の陣に出陣して活躍、寛永二年(1625)には二万二千石余を拝領して大名に列し、相模国甘縄藩主となった。正綱の孫正久は元禄十六年(1703)に上総国大多喜藩二万石に移り、代々続いて明治に至った。所領二万石のうち約一万石近くは三河領で小牧陣屋が支配の任にあたった。

また、秀綱嫡男久綱の長男信綱は叔父正綱の養子となり、慶長九年(1604)徳川家光の小姓となる。その後、栄進を重ねて寛永十年(1633)には老中となり、武蔵国忍城三万石を拝領した。その後、老中首座となり、川越藩(川越城)六万石に移った。幕政を取り仕切る信綱はその才知が認められて「知恵伊豆」と称されたことはよく知られている。子孫は三河国吉田藩(吉田城)七万石や上野国高崎藩八万二千石の大名となって栄えた。

寺津城を捨てて浪々の身に落ちぶれた秀綱であったが、家康の恩情によって救われ、子孫は大きく繁栄した大河内氏なのであった。

現在、瑞松寺の本堂裏手に土塁の一部が残り、その上に稲荷社が座している。瑞松寺の北150mほどに寺津八幡社があり、境内には「大河内氏発跡地」の碑が建てられている。また、瑞松寺の南100mほどに金剛院があり、そこには秀綱とその父信貞と信貞夫人の墓塔が残されている。


▲瑞松寺。

▲「寺津城趾」の碑。

▲本堂裏の稲荷社。土塁跡の上に建っている。

▲稲荷社の裏にまわると土塁跡の高さが分かる。

▲金剛院の山門。

▲金剛院の本堂。大河内信貞が復興して菩提寺とした。

▲大河内信貞夫妻と秀綱の宝篋印塔。

▲宝篋印塔の説明板。西尾市指定文化財となっている。

▲寺津八幡社。

▲八幡社境内に建つ「大河内氏発跡地」の碑。

----備考---- 
訪問年月日 2026年2月19日
 主要参考資料 「西尾の人物誌」
「寛政重修諸家譜」他

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