■ 城跡・史跡めぐり探訪記 2018

管理人ヨシ坊が訪ねた城跡・史跡の訪問記録です。

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1月3日(水)晴/姫路城、御着城、英賀城(姫路市)、龍野城(たつの市)

 恒例となった年頭訪城、今年は姫路城からはじまった。姫路城の入城開始時間の9時に合わせて浜松を未明の3時半出発した。高速道路の渋滞も無く、予定通りに到着した。久しぶりの訪城に相棒のトモ坊も興奮ぎみである。

 姫路城は今までに幾度となく訪れているのだが、HPアップ目的での登城は遅ればせながら今回が初めてである。大阪付近では雨に降られたが、姫路は快晴である。さっそく入城口に並んで開城を待つ。すでに開城待ちの列が出来ている。

 今回は天守内部に入るつもりはなかったのであるが、人の流れに呑まれるようにして入ってしまった。写真を撮りながらマイペースで、というわけには行かない。時間をずらした方が良かったと後悔したが、仕方がない。天守を出てからコースを逆走するかたちでカメラのシャッターを切る。あの入城時の人の流れがぷっつりと途切れている。

 一通り観覧順路となっている部分を足早に回って、西の丸へ向かう。私は西の丸から撮影した天守が一番美しいと思っている。青い空に白亜の天守が映えて最高に美しい。

 時計を見ると滞在予定時間の1時間半が迫っている。くまなく歩き回れば半日は時間が欲しいところだが他の城にも行きたいので切り上げて駐車場へと戻った。

 次に向かうのは御着城である。姫路城は播磨守護赤松氏によって築かれ、後に一族の小寺氏、次いでその家臣黒田氏が城主をつとめたが、その黒田氏の主家である小寺氏が居城としたのが御着城である。

 御着城は姫路城の東約5kmの場所である。現在は公園となって石碑などが建つだけだが、かつては守護赤松氏の守護所としての機能を有していたと言われている。近くには黒田家廟所があり、黒田官兵衛の祖父と生母が祀られている。

 御着城の西約12kmに英賀城がある。英賀城は海と川に囲まれた天然の要塞であったらしい。戦国期には三木氏の城として発展した。この城も宅地化と市街化で遺構の殆どが消滅してしまっている。わずかに英賀神社内に土塁跡が残る程度である。

 次に向かったのは龍野城である。英賀城から車で約30分の距離である。

 龍野城も赤松氏の城である。戦国期には現在の龍野城址の裏山である鶏籠山山頂に築かれた山城であった。それが羽柴秀吉の播磨進出によって開城させられ、破却されたとされる。江戸期に入って、京極氏によって山麓部に城郭が築かれた。これも京極氏移転によって一旦破却されたが、後に脇坂氏の入部によって再興された。すでに泰平の世であり、幕府に遠慮して御殿様式の城として整備されたものである。現在は御殿、城門、隅櫓(模擬)などが再建されている。

 さて、帰路である。中国道や名神、新名神ではすでに渋滞が発生している。渋滞は遠回りしてでも避けたい。舞鶴若狭道、北陸道経由で帰ることにした。ところが日本列島の天候は場所によって大きく異なる。若狭道から敦賀、関ケ原付近では雪に見舞われた。ノーマルタイヤであったが何とか走り抜けることができてよかったが、冬場の遠出では要注意である。

↑姫路城 大手口

↑姫路城 西の丸から見た天守

↑御着城 城址碑

↑英賀城 土塁

↑龍野城 模擬櫓